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高崎の庭
小さな里山風景を育てる庭
群馬県高崎市の戸建て住宅に家庭菜園を楽しんでいた住民が、新しい庭のデザインを求めていた。この住宅の庭は南東に面したリビングを囲むような「L字型配置」である。また、長く生活を営む間の増築歴があり、リビング以外に別の居室からも眺めることができる、複数のビューポイントをもつことが配置として特徴的であった。この計画条件から、庭を通り抜けができるようにデザインすることで部屋間を行き来できる日常的な散策路のような場所が作れないかと考えた。
もともと家庭菜園を楽しんでいた経緯から、眺めるだけでなく、観察しながらじっくり育てる没入型の庭づくりが適していると考えた。そこで散策路は1本ではなく、蜘蛛の巣状い広がりをもたせ、植える植物を全方位から観察することができるようにした。また植物の手入れをしていく中で、あまり大きく育てすぎないで楽しみたいという志向があったため、小さな築山をつくり膝に負担がかかる姿勢にならなくても楽しめる計画とした。
小さな山々はそれぞれ山菜野草や果実のなる木を植えることで、「野山を散策する中で見つけた実をもいでかじり、山菜を採取して食卓を彩る」ような生活と一体的な庭を目指した。それは人間が生活の中で触れ合ってきた里山との関係のようだと思える。そうした生活と自然の関係を一つの娯楽として庭に凝縮し、好みの植物が育つ里山をつくるプロジェクトである。

自然樹形の木々に手を入れていく山守の造園
庭園はビューポイントをつくり、視線を意識した「作られた世界」を楽しむ場としてデザインされることが多い。しかしここでは「自然物と住民の生活がこれから融合していく時間を楽しむ」ことが重要と考えた。そのため各樹木は自然樹形のものを採用し、これから手をいれていくことで自ら「造りあげる庭」を用意することにした。
里山の中で足元を見るとなぜか歩きやすい場所がある。それは獣道であることが予想される。自然の中で生きるモノたちが環境との関係を示したものであり、鬱蒼と茂る植物の中に造られたアクティビティの跡といえる。この造園は現段階で完成しているものはなく、手を加えながら、育ちゆく植物と関係を作り上げていく「時間」に価値がある。無理に手を加えなくとも成立する里山の計画が、手を加えたいところだけを管理していく山守のような関係を作り上げてもらいたい。


足もとと自然の関係
自然の中を散策すると獣や人が歩いた道や、人が手を加えた石の足場やデッキのような場所がある。こ のように人が立つ場所は自然との距離感を示すものだと感じる。自然の道に立つと、没入感のある散策路となり、石の場を歩くと造園された庭となり、ウッドデッキに立つと視点場として眺める庭園となる。庭は形状ではなく足元の環境によって特性が決まるのではないかと思う。



庭は建築物の延長物であり対極のものである
庭を楽しむ。それは生活の場である家と自然との関係の在り方を示す一つのバリエーションだと思える。このプロジェクトでは庭を建築的な動線機能をもたせ、アクティビティを生み出すことで建築的な場となる。しかし、一方で固い建物の形状に対し有機的で変化する対極的な存在でもある。その二極的存在が同一の環境に存在することで生まれる豊かさが庭に求められると思う。この家で暮らす住民にとって庭を楽しむ豊かさが、生きる喜びとなることを期待する。



Principal use
Team
Salon
Director/Jumpei SHIRAI
Year
Landscpae designer
2025.4
Location
Takasaki, Gunma, Japan
Tsukuyomi
Contractor
Shmiz Nouen
GFA
Photograph
100 sqm
MOAP

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